聖火について思うこと

聖火について思うこと

こんにちは
久しぶりに熊本から書いてます
今日のブログは聖火のことや、オリンピックのボランティアについて思うことがあり書くことにしました。

私は3大会のオリンピック、パラリンピックをサポートする側として参加しました。正確には2回のオリンピックとパラリンピック。オリンピックはIOCのオフィシャルからマッサージボランティアとして参加した経験があります。おそらく日本人では私しかいないと思う。だからこそ当時選手村で見たこと、感じたことを書きます。

そしてその前に、東京五輪の開催について賛否はありますが、ここへきてアスリートに無礼極まりない発言、心無い人達がいること、それは長年にわたり並外れた努力を積み重ねてきたアスリートに対して残酷でしかない。どうすることもできないアスリートにフェアではない。日本は世界からフェアな国として認められ誇れる国です。どんな状況でも日本人らしさを忘れないでいたい。本当に心が痛みます

聖火は日本のものではない

21年前シドニーオリンピックの選手村でトーチを持った方に出会い握らせてもらいました。
聖火はオリンピックが開催される合図だけではなく、オリンピックが始まるから武器を捨てオリンピアに集まろうという、古代オリンピックの意味も含まれていると。
そこから4年後のアテネオリンピックでイラク選手のマッサージを担当した時の出来事です。
選手の背中のあちこちに埋没した細かい弾丸。最初は何?背中をオイルで滑らせると明らかに気持ちの悪い感触。これは何?

聞けばオリンピックがあったことで休戦になり助かったと。
そもそも彼は兵士ではない、アスリートです。このような選手を何人担当したことか。戦争中にも練習を続けていたのでしょうか、返す言葉が見つかりません。他にも貧困や差別、女性というだけで禁じられた種目。様々。。。メディアにでることもなく、ここにいなければ知ることもない。

つい先日世界平和と熊本の復興を信じ、172人につながれた聖火は熊本城へやってきました。世界中がコロナで苦しむ中、それでも世界のどこかで争いや災害は続いています。
聖火は日本のものではありません。
平和へのメッセージを世界に伝える役割があるのです。
どんな形であっても聖火をつなぐ。
こんなコロナのときだからこそ平和と深いつながりのある聖火について改めてその意味を考えてみました。戦争と感染症は違うのではなく、聖火をつなぐことによって新たな感染症対策が講じられ、平和への一歩になることに向かう、これも一つのレガシーとなることを願いたい。

聖火は世界のヘリテイジである

追伸
熊本の新阿蘇大橋から聖火ランナーに選ばれた中尾有紗さんの特別なメッセージを届けます
#熊本復興

https://2020.yahoo.co.jp/torch/introduction/person19

2021年5月6日(木)【きょうくま!】聖火ランナーの特別な思い

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